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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和32年(う)391号 判決 1960年1月12日

控訴人 被告人 浜島次男 外二名

検察官 西向井忠実

主文

本件各控訴を棄却する。

(訴訟費用に関する部分省略)

理由

本件各控訴の趣意は、被告人全員につき被告人全員の弁護人小林直人名義の控訴趣意書および控訴趣意書補充書、被告人浜島次男・同下満一典につき同被告人等の弁護人岡村正善・村田継男連名名義の、被告人浜田吉之助につき同被告人の弁護人東城守一名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用しつぎのとおり判断する。

小林弁護人の控訴趣意第一点、岡村・村田両弁護人の控訴趣意第三点・東城弁護人の控訴趣意第一点について。

所論は米初次郎は正規の車掌ではなく、被告人等には同人が車掌であることの認識はなかつたし、列車は発車の準備が完了していなかつた状態であり、しかも被告人等には原判示のごとき共同暴行の事実はない、という。

右所論のうち、被告人等の暴行の点を除くその余の主張については後記小林弁護人の控訴趣意第四点およびその補充、岡村・村田両弁護人の控訴趣意第二点、東城弁護人の控訴趣意第二点における判断を引用する。すなわち、米初次郎は正規の車掌であり、被告人等にもその認識があつたことが十分認められるし、列車は発車すべき状態にあつたものであり、米初次郎の行為は職務執行行為である。

よつて、被告人等の暴行の事実について考察する。

まず、被告人下満・浜島の行為について、所論は下満は緩急車内にははいつたけれども暴行はしていないし、浜島は単に米初次郎に対し乗車しないように説得したにすぎないと主張し、所論指摘の証拠中にはこれに符合するがごとき供述部分があるけれども、これらの証拠は原判決挙示の証拠に照すと到底措信し難く、原判決挙示の証拠を綜合して考察すると、まさに原判示のとおり、一六四列車は中二番線で最後の組成を終り、一五時四四分頃北二番線に引き直され、発車線についたとき、ピケを張つていた組合員が右貨物列車の緩急車内に車掌が乗務しているのを発見し、緩急車の左右から「開けろ」「降りろ」と叫んでいるうち、被告人下満は緩急車前方左側窓に手を差しいれ、組合員図師益雄は足をこぢいれ、ついに窓を押し開き、侵入を阻止しようとする米初次郎等の抵抗を排除して、まず図師が、ついで被告人下満が右の窓から緩急車内に侵入し、ここに両名は、恰もその頃該車輌のデツキに通ずる扉の硝子が破れ、デツキから車内に侵入してきた新盛辰雄・大石広茂等と一体となつて、車掌米初次郎の身体を押し或いは引張るなどして同人を車外に出し、間もなくその現場に来投した被告人浜島も右の者等と一体となつて米初次郎の左腕を捉らえたり、身体を抑止したりして乗車を阻止したことが十分認められる。このように、車掌米初次郎の乗車を阻止する共同目的の下に、被告人下満・浜島等が他の数名の者と現場において一体となつて、順次同車掌に暴行を加えた以上、同被告人等に暴行についての共同認識のあつたことは明らかであり、同被告人等の所為が暴行の共同正犯にあたることは当然である。

つぎに被告人浜田の行為について考察する。

原判決挙示の証拠を綜合すると、原判示のとおり、同被告人が外一名とともに、緩急車後部端梁に乗車せんとする米初次郎の右足を掴んで引き落したことが十分認められる。所論は、米初次郎が引き落された直後浜田を難詰せず他の一人のカツターシヤツを着た男のシヤツを掴えて難詰していること、証第三号によると、被告人浜田は米初次郎の身体のどこも掴えてはおらず、単に走つていることが明らかであるというのであるが、原判決は被告人浜田が他の一名と共同で引き落したとの認定であり、引き落した二人のうちまず逃げようとする者を難詰するのはむしろ自然であり、その際被告人浜田が同時に難詰されていないからといつて、同被告人が暴行を加えないという証左とはなし難く、また証第三号によつては所論のように被告人浜田が米初次郎の足を引張つていないことが明らかではなく、かえつて、当審鑑定人原田正の鑑定書によると、証第三号は鮮明度を欠ぎこの証第三号の写真自体からは四分の不確実の範囲でしか判断できず、その範囲で判断すると四分・六分の割合で掴んでいると見られる度合が、掴んでいないと見られる度合より高いことが認められるので、この写真は右の所論の掴んでいない証拠にはならない。原判決挙示の証拠中証第一・二号の各証によると、同被告人は当初ピケラインにいたのであるが(証第二号の一一ないし一五)、その後は被告人下満、図師益雄らの緩急車内侵入を援護して(証第二号の二四)侵入させた後自からも緩急車のデツキに乗り(証第二号の二九ないし三一、証第一号の九・一〇)、米初次郎の身体に接着するようにして、附き纒い、漸次積極的な行動に移つており、これに、原判示事実に照応する被害者たる米初次郎の原審公判廷における供述、目撃証人仮屋哲、牧園栄二、下野光徳、吉村俊夫、村山亨一の原審公判廷における各供述を綜合すると原判示事実を優に認め得るから、原判決には所論のごとき事実の誤認はない。所論はひつきよう原審の措信しない証拠にもとづいて原判決の認定を批難するに帰し理由がない。

小林弁護人の控訴趣意第二点(補充書による補充部分を含む)および東城弁護人の控訴趣意第二点の(三)について。

所論は原判示国有鉄道(以下単に国鉄と呼ぶ)職員の休暇闘争は正当な組合活動であり、被告人等の所為に対しては公共企業体等労働関係法(以下公労法という)第三条、労働組合法(以下労組法という)第一条第二項を適用すべきであり、仮りに被告人等の所為に逸脱があつても刑法第三六条・第三七条を適用して刑の減免をなすべきであるのに、これらを認めなかつたのは事実の誤認と法令適用の誤りがあるという。

まず、原判示国鉄の休暇闘争について考察する。

所論は、右の休暇闘争は正当な組合活動であると主張する。一般に労働者が休暇をどのように利用するかは自由であろう。しかし、休暇請求権が所論のごとく形成権であるかどうかはともかくとして、それが個々的でなく一斉に、即ち、組織的・集団的に労働条件の維持改善の要求貫徹のために業務の正常な運営を阻害することを目的として利用されるならば、それは形式の如何にかかわらず、まさに争議行為として評価されるべきである。本件の三割休暇闘争の実態は原審で取り調べた証拠によると、昭和二九年一一月二五・二六・二七日の三日のうち一日宛休暇を組織的に一斉に請求させ、列車のダイヤを混乱におとしいれ国鉄当局に打撃をあたえることを狙いとしてなされたものであることが認められる。すなわち、国鉄労組がその主張を貫徹するために、組織的に業務の正常な運営を阻害することを目的とし、少くとも正常な運営が阻害されることを予知しながらなしたものである以上争議行為といわざるを得ない。

しかして、公労法第一七条によると、公共企業体たる国鉄職員は争議行為を禁止されている(同条の合憲性については後記説示のとおりである)以上三割休暇闘争は正当な組合活動ではなく、争議行為として違法であると断定せざるを得ない。

このように休暇闘争という争議行為自体が違法であり、しかも、これを強行するために統制の下に原判示のとおり、第一行動隊は車掌区事務室前にピケツトラインを張り、当日入出区者の確認をなし、休暇割当職員の出動を阻止し、当局その他のスト破りを阻止し、併せて外部単産の支援を指揮してピケの行動に参加させ、第二行動隊は第一行動隊の隣位置に集結し、列車発車の際は列車の出発地に移動し、運行停止の列車に代替要員を乗車させることを拒否すると同時に休暇実施による運行停止列車の運行停止を確認し、第三行動隊は原則として定位置は第一行動隊の隣接地区とし、当局のスト破り、又は不当労働行為を阻止する、第四行動隊は当日の割当休暇の組合員を当局の業務命令が届かないよう一定場所に集合せしめ、或いは他へ移動し、勤務に就かせないよう説明指導するよう夫々任務についていたのである。これら一連の行動は禁止された争議行為であり所論のごとく正当な組合活動といえないことは勿論である。のみならず被告人等はいずれも米初次郎に対し暴行を加えたものであるから、原判決が被告人等の行為に対して公労法第三条・労組法第一条第二項、刑法第三六条・第三七条を適用しなかつたのは当然であつて、原判決には所論のごとき事実誤認ないし法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

小林弁護人の控訴趣意第三点(補充書による補充部分を含む)、岡村・村田両弁護人の控訴趣意第一点、東城弁護人の控訴趣意第二点(一)について。

所論は、国鉄職員は刑法第九五条の公務員に該当しないし、同条の保護法益は権力関係を内容とする公務の場合を指し、国鉄の業務は私企業的性格を有するにすぎないから国鉄職員の業務に対する反抗は業務妨害とはなつても刑法第九五条の公務執行妨害にはならないという。

刑法における公務員の定義は同法第七条に「本法ニ於テ公務員ト称スルハ官吏、公吏、法令ニヨリ公務ニ従事スル議員、委員、其ノ他ノ職員ヲ謂フ」と規定している。日本国有鉄道法(以下国鉄法という)第三四条第一項には、「役員及び職員は法令により公務に従事する者とみなす」とある以上国鉄職員は刑法における公務員といわざるを得ない。所論は右の「みなす」の趣旨は経済罰則の整備に関する法律第一条、国民金融公庫法第一七条、日本輸出入銀行法第一七条、日本開発銀行法第一七条、日本電信電話公社法第一八条、農林漁業金融公庫法、中小企業金融公庫法第一七条に「刑法その他の罰則の適用については法令により公務に従事する職員とみなす」と同一趣旨であつて、刑法その他の罰則の適用についてだけ役職員を公務員とみなすにとどまり、国鉄の業務を公務とする趣旨ではないというけれども、国鉄法第三四条の規定の仕方は右経済罰則の整備に関する法律第一条等と明らかに異る(経済罰則の整備に関する法律に規定する別表甲号・乙号掲記の経済団体の職員はいずれも本来の意義における公務員ではなく、ただ甲号団体の職員に限つて罰則の適用については公務員とみなされるにすぎないことは当裁判所も所論と同一見解である。なお日本銀行法第一九条には所論指摘のとおり「日本銀行ノ職員ハ之ヲ法令ニ依リ公務ニ従事スル職員ト看做ス」とあり国鉄法第三四条第一項と同一文言であるが、同法後に成立した経済罰則の整備に関する法律により日本銀行は別表甲号に掲記されるにいたつたので、右の文言にかかわらず国鉄職員と同一視することができない)のみならず、国鉄の法律的性格を考えて見ると、国鉄は、従前純然たる国の行政機関によつて運営されてきた鉄道その他の事業を経営し、能率的な運営によりこれを発展せしめ、もつて公共の福祉を増進することを目的として(国鉄法第一条)設立せられた公法上の法人(同第二条)であつて、その資本金は全額政府の出資にかかり、その公共性は極めて高度なところから、国はこれに対し広汎な統制権を保有している。すなわち国鉄は運輸大臣の監督下におかれ(国鉄法第五二条)その業務運営は内閣の任命する監理委員会の指導統制に服し(同第九条以下)、その総裁は内閣が任命し(同第二〇条)、その予算は運輸大臣及び大蔵大臣の検討及び調整を経て国会に提出され、国の予算の議決の例によつて国会において議決され(同第三九条以下)、会計は会計検査院が検査する(同第五〇条)ことに定められているし、国鉄職員も職務の遂行については国家公務員と同様の規定がおかれ(同第三二条)、一定の事由があるときはその意に反して降職・免職・休職にされ(同第二九条・第三〇条)、一定の事由があるときは懲戒処分を受ける(同第三一条)等公務員と同一性格を規定し、労働者災害補償保険法・失業保険法等の関係においては、国に使用され、国庫から報酬を受けるものとみなされ(同第六〇条ないし第六二条)、更に一切の争議行為が禁止されている(公労法第一七条)。これらを考え合せると、国鉄法は国鉄の業務を準国家的業務となし、これを公務としていることは明らかである。

されば国鉄法第三四条第一項に「役員及び職員は法令により公務に従事する者とみなす」の趣旨は刑法第七条所定の公務に従事する職員とみなしたわけであり、国鉄職員は所論の職員自らの罰則の適用に関する限度において公務員とみなしたのではなく、広く刑法における公務員であると解すべきである。

つぎに、刑法第九五条において保護する法益と国鉄業務との関係について考察する。

同条は公務員を特別に保護する趣旨の規定ではなく、第一義的には公務員によつて執行される公務そのものを保護する規定ではあるが、公務のうち特に権力関係を内容とする場合のみを対象としたのではなく、広く公務員の行う公務執行を保護するものと解する。所論のごとく、公務の執行に対する妨害が、特に業務妨害罪から区別して処罰される所以は公務が一般の業務と異るが故であり、業務妨害罪は個人又は団体の経済的・精神的活動の保護を目的とするものであり、公務の執行が実質的に右の業務と異るのは公務執行が権力関係を内容とする場合においてであるから国家の活動中非権力関係を内容とするもの、特に私企業的性格を有するものについては国家もまたその権力性を捨象した関係において私人と同様の経済活動の主体として行動しているのであるから、これに対する妨害を私人の業務に対する妨害と区別して考える必要はないとの論拠のもとに、国鉄職員の職務の執行を妨害した場合について、それが鉄道公安官であれば公務執行妨害罪或は職務強要罪となり、その他の職員に対する場合は職務強要罪(暴行脅迫)或は業務妨害罪(威力・偽計)になるとの学説および裁判例もあるけれども当裁判所はその見解を採らない。国家の活動中非権力的関係を内容とするものといえども、その公共性においては一般私企業とは格別の差があることが通常であり、これらについての職務は直ちに公共の福祉につながるものであり、この非権力的の公共業務の執行をいかに保護すべきかは、国家の歴史的発展的段階において捉えるべき立法上の問題というべく、刑法第九五条は所論のごとく権力関係の場合のみに限定せず、広く公務員によつて執行される公務を保護していることは明らかであり、前説示のごとく国鉄職員による国鉄の業務の執行が公務員による公務である以上、その職務の執行に対する暴行脅迫による妨害が公務執行妨害にあたることは勿論である。このように解することは福祉国家を希求する憲法の精神に反するものではない。論旨は理由がない。

小林弁護人の控訴趣意第四点(補充書による補充部分を含む)、岡村・村田両弁護人の控訴趣意第二点、東城弁護人の控訴趣意第二点の(二)について。

所論は、原判決は米初次郎が正規の手続を経て車掌に任命され、勤務指定を受けた、と認定しているが、同人は法的に任命された車掌ではないし、本件当日の乗車勤務は適法に指定されていない。さらに当日の同人の行動は運転に関する諸規定に違反していて公務執行における職務の適法性を著しく欠いでいたという。

まず米初次郎の車掌任命について。

原判決挙示の証拠によると、米初次郎はもともと昭和一二年から同一四年まで車掌として乗務していた者であるが、その後長期間車掌の実務に就いていなかつたところから、車掌として勤務するため、昭和二八年一二月五日臨時運転考査に合格し、昭和二九年一一月二四日鹿児島鉄道管理局において局長八木建二から口頭で車掌の勤務指定を受け、同月二五日同車掌区助役から一六四貨物列車の乗務指定を受けたこと、したがつて、正規の手続を経て車掌に任命され、その勤務指定を受けたことが十分認められる。被告人等において、米初次郎が車掌の勤務指定を受けたことについての認職のあつたことは同人が正規の車掌の服装をしていたこと、代替要員が車掌の任務につくことのあることを斗争指令自体が指摘し本件一連の争議も同認定のとおり代替車掌の乗務阻止にあつたこと、さらに、原審証人大石広茂の証言によると、米初次郎が代替車掌であることを同人等が認識していたことにより十分認められる。所論は右に関し公労法第四条第一項但書には「管理又は監督の地位にある者及び機密の事務を取り扱う者は組合を結成し、又はこれに加入することはできない」と規定され、さらに同条第二項には、「前項但書に規定する者の範囲は公共企業体等労働委員会の決議に基き労働大臣が定めて告示する」と規定されていて、国鉄職員は団結権を保障される一般職員とその圏外におかれる管理職員とが強行法規で区別されており、米初次郎は当時管理職(局文書課係主席)に任命されている以上、その者に団結権を保障される一般職員の職を兼務させることはできないと主張する。

しかし、公労法第四条はその規定に明らかなとおり、国鉄職員の団結権に関する規定であり、同条第一項但書は非組合員の範囲を定めたものであつて、組合員の従事すべき職種に属する業務に非組合員を従事させることを禁止したものではない。すなわち、非組合員に組合員の従事すべき職種に属する業務を兼務させても、その非組合員は同条により組合に加入することはできないけれども、兼務そのものを禁止しているわけではない。その他このような兼務を禁止する規定はない。原判決挙示の昭和二五年七月三一日国鉄総裁達第四〇三号鉄道管理局長事務処理規定第一条第三項によると、鉄道管理局長は次長・部長等特定の職員を除いて部下職員の採用・昇給・降給・勤務指定・転勤・休職・退職及び免職をすることができる旨規定してあり、右の勤務指定に兼務が含まれることは明らかである。さらに、スト等の緊急事態の場合の列車運転確保のために昭和二八年一一月三〇日付国鉄副総裁より各鉄道管理局長宛「緊急事態に対する列車運転の確保について」と題する依命通達が出ており、同通達によると、過去において運転車掌の経歴を有する者であつて臨時運転考査に合格した者を一時運転車掌の業務に服務させることができる旨規定している。これと異る当審証人木村美智男の供述調書の供述部分は指信できない。

なお、所論は原審証人八木建二(当時鹿児島鉄道管理局長)の証言中の「問、斗争当時米を竜ケ水駅まで自勤車でやつた時瀬戸助役に命令があつたといいますが、証人は大体そういう命令を何時出されたのですか。答、そういう命令は私は出していません。問、証人の指示で瀬戸助役が米を竜ケ水までやらしたのではないですか、答、いいえそうではありません」の供述部分を捉えて米初次郎は昭和二九年一一月二五日一六四列車に車掌として乗車することの勤務指定は局長から適法に指定されたものでないと主張するのであるが、右八木証人の供述はその前後の供述と対照すると、米に対する勤務指定そのものを否定しているのではなく、米の車掌勤務の方法について、竜ケ水駅に自動車で行つて乗車するように特別具体的指示をしたことはないというにとどまり、原審証人米初次郎の証言によると、昭和二九年一一月二四日八木局長より直接鹿児島車掌区の車掌を兼務するよう勤務指定を受け、その翌日瀬戸助役から一六四列車に乗務するよう命令を受けたが、一六四列車が出る前にどうしても乗れそうでないということで助役から竜ケ水駅まで行つて乗務するようにいわれた、というのであつて、局長から勤務指定を受けたことは明らかに認められるので、右八木証人の供述部分をもつて、適法な勤務指定がなかつたとして原判決の認定を非難する所論は理由がない。

そこで、つぎに、米初次郎の職務の執行が公務執行妨害罪の対象たる保護に値する適法性を具備していたかどうかについて検討する。公務執行妨害罪が成立するためには、当該公務員がその職務について一般的職務権限(一般的職務権限がなければもともと職務の執行といえない)および具体的職務権限を有し、具体的場合において、職務行為の有効要件として定められている条件並びに重要な方式を履践していることを要する。

本件において米初次郎は前説示のとおり、車掌としての一般的職務権限を有するとともに、昭和二九年一一月二五日の一六四列車に車掌として乗務することの勤務指定を受けていたのであるから、原判示一六四列車における車掌としての具体的職務権限を有していたことは勿論である。

ところで、所論は米初次郎は一六四列車発車の際車掌区乗務員執務内規第四一条(列車点検要領)第四二条(列車点検事項一一項目)第四四条(貨物列車点検事項一〇項目)第四八条(出発準備合図)をことごとく怠つていたというのであるが、原審証人米初次郎の供述によると、一六四列車に車掌として乗務したのは米初次郎と日高車掌であり、その他鹿児島鉄道管理局の非組合員六名が同列車の緩急車に乗車したことが認められるが、車掌たる米初次郎等両名が右の諸規定をことごとく怠つたことを認めるべき証拠はない(原審で取り調べた証拠によると右四一条・四二条・四四条の各点検は一六四列車の鹿児島駅出発に接着する竜ケ水駅と鹿児島駅中二番線および北二番線で行われ、発車準備が完了していたことが認められる)。ただ、第四八の出発合図の点において或は欠げる疑がないでもないが、たとい、これが欠けていたとしても、そのことからして右米初次郎の行為が公務執行妨害罪の対象たる職務執行に該当しないというべきではない。

いかなる条件を具備し、いかなる方式の履践が公務執行妨害罪の対象としての職務として保護に値するかはその職務内容およびこれを規律する法規の解釈によつて各具体的に決定すべき問題であり、一般的にいつて、国民の自由・権利を拘束する行為(例えば逮捕・勾留など)については行政の法律適合性が最も厳格に要求されるし、右拘束が稀薄になるにつれて要件も緩和されるといつてよい。本件米初次郎の行為は右の国民の自由・権利の拘束性については稀薄であるし、出発合図に欠げる点があるとしても、他の要件について具備されており、しかも、原判示認定のとおり、国鉄労組の昭和二九年末斗争の第四波斗争の三割休暇斗争を主軸とする超過勤務拒否・遵法斗争戦術による列車運行休止にもとづく緊急事態における職務行為であることからすると、原判示の米初次郎が緩急車内から車外に押し出され乗車を阻止されるまでの職務行為は客観的に車掌の職務行為であるといつて差し支えないので(米初次郎が車掌としての職務執行の意思であつたことは明らかである)、公務執行妨害罪の対象としての保護に値する行為であると認めるべきである。

ところで、原判決は右の被告人下満・浜島らの妨害により降車させられた米初次郎が更に引き続き緩急車後部端梁に乗車せんとしたのを同人の右足をつかんで引き落した被告人浜田の行為を公務執行妨害罪に問擬したのに対し、所論はこの米初次郎の行動は車掌の職務行為の適法性の要件を著しく欠除するものであると主張するので検討する。

車掌米初次郎の行為を全体的に観察し、右の行為が客観的に明らかに職務行為に該当しないとなれば、端梁に乗らざるを得ないようになつたことがたとい被告人等の妨害行為によるものであるとしても、端梁に乗つている米初次郎を引き落すことは公務執行妨害にはならないといえるであろう。しかしここに注意しなければならないのは、米初次郎の本件車掌職務は継続的流動的であるから、或る一時点の所為を断続的微視的に捉えるべきではなく全体の行為中の一環として判断しなければならない。本件において米は原判示のとおり被告人下満・浜島らの妨害によつて緩急車から降ろされたものの依然職務遂行の意思をすてず、当局の環視の下に職務を遂行しようとして妨害を排除して端梁に飛び乗つたのであり、被告人浜田も米初次郎が端梁に乗ることによつて一六四列車が運行されることを阻止するために敢えて引き落したのであつて、この米の行為が職務執行課程中の一行為であることは客観的に明らかであり、本件緩急車には端梁から車内に入ることも可能であることが当審証人嶋田秀男の供述によつて認められるので、米初次郎が端梁に乗つて乗車しようとした行為はなお職務行為といつて差し支えなく、これに暴行を加えて引き落した被告人浜田の所為を公務執行妨害罪に擬律した原判決は正当である。原判決には論旨が指摘するごとき法令適用の誤りなどない。論旨は理由がない。

小林弁護人の控訴趣意第五点(補充書による補充部分を含む)について。

所論は、原判決は公労法第一七条を合憲とする前提の下に被告人等の行為の違法性を認定しているが、同条は憲法第二八条に違反する無効の規定であるから、原判決は結局無効な規定を有効なものとして適用した誤りがあり、仮りに該規定が有効であるとしても、被告人等の所為は右規定による禁止行為に該当しないので、その適用を誤つたことに帰するという。

団結権は生存権的基本権のうち自由権的色彩のきわめて強いものであるとはいえ、夫々の団結権にはその内在的な権利の限界がなければならない。特別権力関係にもとづく国家公務員の団結権、国民経済および公共の福祉に直接つながる公共企業体の職員の団結権、私企業の従業員などの団権結には同じく団結権といつても業務の性質、その企業の性格から来る制限の相異のあることは当然である。国鉄の法律的性格は小林弁護人の控訴趣意第三点において説示したとおり、現在なお準国家事務の性格を有しているのであり、国鉄職員の身分も私法的側面を有するとともに、公法的側面を有している。しかも、これら職員の争議行為は国民経済の破たんをも招来することが考えられる。したがつて、これら職員はその私法的側面においては一般私企業の従業員と同様に団結権を保障すべきであるのに反し、公法的側面においてはこれを排除せざるを得ないわけである。この両面の調和として公労法は争議権を否定する一方仲裁制度(同条第三三条ないし第三五条)を設け、その枠内において団結権を保障したわけである。されば公労法第一七条は公共企業体の性格からの制限であり(このことは反面公共の福祉にも合致する)、憲法第二八条に違反するものではない。また所論は本件のごとき小グループの職場離脱のごときは公労法第一七条に間擬すべきでないというのであるが、小林弁護人の控訴趣意第三点について説示したとおり、三割休暇闘争が争議行為と認められる以上同条に該当すると断定せざるを得ない。この点の論旨もまた理由がない。

以上各判断のとおり、被告人等の本件各控訴は理由がないから刑事訴訟法第三九六条により棄却し、当審における訴訟費用の負担につき、同法第八一条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 二見虎雄 裁判官 後藤寛治 裁判官 矢頭直哉)

弁護人小林直人の控訴趣意

第三点原判決は、法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである場合に該当するので、破棄すべきであります。

原判決は、「弁護人の主張に対する判断」において、「弁護人等は」「車掌の業務は公務ではない旨主張するが」「日本国有鉄道の職員は法令により公務に従事する者とみなされることは日本国有鉄道法第三十四条第一項の規定に照し明らかであるから、同人が車掌としてなす業務は刑法第九十五条の規定する公務に該当することは明瞭である。」と判断して弁護人等の主張を排斥しております。然し、原判決の右判断は、刑法第九十五条にいう「公務」及び日本国有鉄道法第三十四条第一項のみなす規定の各解釈適用を誤つた違法の判断であると考えます。(追つて詳論します。)原判決の右違法判断は、刑事訴訟法第三八〇条にいう「法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである」場合に該当するものであることは疑を容れません。従つて、原判決は、この点において破棄を免れません。

第三点の補充 国鉄の業務は刑法九五条の保護法益たる「公務」に該当しないことについて

一、わが刑法七条は「本法ニ於テ公務員ト称スルハ云々」と規定しておよそ刑法各部門に共通な公務員概念を定立しようとしている。従つて、その概念は公務員を犯罪の主体とする収賄罪についても又公文書偽造罪その他の犯罪についても等しく妥当するものとされている。ところが、これらの犯罪の本質や被害法益はそれぞれ異るところのものである。公務員の概念の精密な輪郭は単に刑法七条の文理解釈だけから一義的に引き出し得るものでないことは勿論であつて、いわゆる目的論的解釈が採用されなければならない。そして、かような解釈方法を採る限り、公務員に関連する各犯罪の本質や被害法益との関係において、いわば相対的に公務員概念を定立せざるを得なくなるのは必然であろうと思われる。かくて公務員の概念は各犯罪ごとに、特にその限界線においては、分裂を余儀なくされるということが予想されるのである。そこで刑法九五条の保護法益たる「公務」について新憲法の関係と判例の立場とを綜合して検討してみよう。

二、まず現行法の立案審議の際、花井卓蔵博士は刑法「九五条ハヤハリ官尊民卑ノ弊ト云フモノヲ此刑法ガ認メテイル旧刑法ノ遺物デアル」と激しく非難されたところであるが、刑法ができた旧憲法時代は、公務員は天皇の官吏といわれた時代であつた為、官庁の権威と公務の国家権力の権威というものを一切の国家公務員に着せて、国家意思ばかりでなく国家公務員となるところのものはみな刑法九五条の保護法益にするという考えが強かつた。ところが新憲法の国民主権主義のもとでは、そういう解釈をそのまま踏襲することは困難となつた。即ち今後の社会通念においては、公務又は公務員を以て私務又は私人に比して一層大なる保護に値するものと考えるような官僚主義的差別観は著しく稀薄に赴く傾向にあるので、旧憲法時代の考え方に対して根本的な反省を加え、妥当な法解釈が必要とされることになつたのである。

三、刑法九五条にいわゆる公務員とあるのは、同七条に規定するところと同じであつて、官吏、公吏、法令により公務に従事する議員、委員、その他の職員を指称するものと解釈されてきたことは周知のところである。従つて、そこから「仮令法令ニ依リ公務ニ従事スルモノト雖トモ職員ト称スルヲ得サルモノハ公務員ニアラス」(大正八年四月二日大審院判決)ということになりまた「給仕、小使の如く単に機械的労務に従事する者は、これらの者がたまたま臨時に重要な公務に従事している場合についても」公務執行妨害罪成立の余地はないということになるのである(植松教授刑法各論一七頁)。判例も郵便集配事務を妨害した事件に対して「郵便電信及電話官署ニ於ケル現業傭人ノ如キハ官制職制又ハ其他ノ法令上職員ト称スルモノトハ其撰ヲ異ニシ職工人夫等ト何等択フ所ナキコト郵便電信及電話官署現業傭人規程ノ趣旨ニ徴シ明瞭ニシテ之ヲ職員ト称スルヲ得サルモノトス従テ現業傭人タル集配人ハ該規程ニ依リ公務ニ従事スルモノナリト雖モ未タ以テ職員ト云フヲ得サルカ故ニ集配人ニ対シ暴行ヲ為シテ以テ其公務ノ執行ヲ妨害スルトキハ刑法第九十五条ノ犯罪タル公務執行妨害罪ヲ構成セス」(大正八年四月二日大審院判決)と判示しており、最近の高裁判決が同種事件に対して、今日郵便集配人の地位、職務内容、権限等微細に整備規制され公務員性を釈然たらしめていることから右大審院判例は変更されるべきであり、郵便集配人は公務に従事する職員であると解しながらも「国家公務員の職務の内容はその職務の複雑と、その職務の責任とを基準として分類せられるのであるが、一級職や二級職などにあつては、職務の内容が極めて単純であり、かつ責任性も殆んど問題とせられることがないのであつて、かかる公務員が刑法上の職員に該当しないこと異議がない」と判示していることは、公務執行妨害罪の対象たる公務員の範囲を限定し、厳格に解釈しなければならないという動向を示すものとして注目しなければならない。

四、そこで右の如き限定的な判例の考え方を本件の場合に推及してみよう。国鉄は明治末年より昭和二四年五月末まで官庁であり、従つてその職員が官吏乃至公務員であつたことは疑いを得ないが、昭和二四年六月一日以降は、私企業と同じくコマーシヤルベースの上に立つて経済活動を営んでいるところのいわゆる公共企業体となり、その職員も官吏乃至公務員とは称されなくなつたのである。即ち昭和二三年七月二二日のマ書簡は「鉄道並に塩、樟脳、煙草の専売などの政府事業に関する限り、これらの職員は普通公職からは除外せられてよいと信ずる。然しながらこれ等の事業を管理し運営するために適当な方法により公共企業体が組織せらるべきである」と命じ、今まで官業として運輸事業が一つの行政行為とされていたのを、能率が上らないとか特段の改善を加えなければならないとかいう理由によつて、思い切つてこれを普通公職からはずし、事業体にしてしまえということになつたのである。従つて、日本国有鉄道は、私企業と同様の公共企業であり、その職員は刑法七条にいう「官吏」「公吏」「法令に従事する職員」のいずれにも該当しない非公務員であり、その業務は、刑法九五条の保護法益たる「公務員の職務の執行」には該当しないのである。言いかえるならば、国鉄は民間の鉄道事業と法的性格において差異がなく、従つて業務妨害の適用はあつても公務執行妨害罪の適用は許されないと解すべきである。その点について検察官が原審論告中で引用された昭和三一年一月一二日福岡地方裁判所判決の業務妨害被告事件において検察官は「権力作用を伴わず、その本質においては民間企業と異らぬ国鉄業務については業務妨害罪の成立を認めることが相当である」と主張し、国鉄業務が民間企業の業務と異らないことを自認していることを見逃すべきではなかろう。

判例について

一、検察官は、おそらく、次の判例を引用するのであろう。

(一)鉄道省、鉄道局雇は公務員であるとする大審院の昭和十二年六月十四日の判決

(二)小荷物係駅手に対する暴行は公務執行妨害なりとする昭和二十四年四月二十六日の最高裁判所第三小法廷の判決

(三)国鉄駅改札係に対し公務執行妨害罪が成立するとした昭和三十年七月二十五日東京高等裁判所第一刑事部の判決

(四)炭労ストに際し国鉄貨車十三輌をピケにより阻止した事案につき国鉄業務は公務なりとして威力業務妨害罪の成立を否定した昭和三十一年一月十二日の福岡地方裁判所の判決

(五)国鉄職員により電車又は列車の運行は右職員による公務の執行であると共に、公法人たる国鉄の業務であり、前記職員に対する公務執行妨害罪が成立する場合は法条競合によつて業務妨害罪の規定はその適用を排除するけれども、云々との昭和三十一年六月二十九日の福岡高等裁判所第一刑事部の判決

(六)国鉄労組の昭和二十九年末斗争をめぐつて発生した新鶴見操車場における国鉄労組員の鉄道公安員に対する暴行は公務執行妨害なりとする昭和三十二年八月十九日の横浜地方裁判所の判決

二、然しながら、右判例の中、(一)昭和一二年六月二四日大審院判決及び(二)昭和二四年四月二六日最高裁判決は、国鉄が公共企業体に移行した昭和二四年六月一日前の即ち国鉄がまだ官業であつた時代に起きた事件に対するものであつて、国鉄職員の職務が公務に該ると判決したことは当然であり、本件に引用することは無意味である。次に(三)判決乃至(六)判決は、なるほど国鉄が今日の公共企業体になつて以後の判決であつて、国鉄の業務が刑法九五条の保護法益にあたると判示しているのではあるが、私はこの結論に対してあくまでも争うと共に、裁判所には是非この論点を根本から分析して御批判願いたいと思うものである。それはいずれの場合も、この論点について被告人、弁護人とも充分争つておらず、従つてこのような重大な結論を出すに充分なる論議がなされていないからである。検察官引用の各判決とも、国鉄職員は日本国有鉄道法三四条一項により、法令により公務に従事するものとみなされるので、国鉄職員の業務が公務であることは論を俟たないと簡単に言切つているが、果してこのような「みなす」規定によつて国鉄職員のとる業務はみんな公務になつてしまうのであろうか。私は日本国有鉄道法三四条一項の「みなす」規定は、刑法九五条の構成要件を修正する効力を有するものではなく、従つて国鉄職員の業務はすべて公務であるとする考え方には反対するものである。

日本国有鉄道法第三四条「みなす」規定の意義について

一、日本国有鉄道法三四条は「役員及び職員は、法令により公務に従事する者とみなす。役員及び職員には、国家公務員法は適用されない。」と規定しているが、このようないわゆる「みなす」規定としては次のようなものがある。

日銀法(昭一七・二・二四法六七)一九条一項 日本銀行の職員は之を法令に依り公務に従事する職員と看做す。

経済罰則の整備に関する法律(昭一九・二・一〇法四)一条 営団、金庫又は此等に準ずるものにして別表甲号に掲ぐるものの役員其の他の職員は罰則の適用に付ては之を法令に依り公務に従事する職員と看做す。

日本専売公社法(昭二三・一二・二〇法二五五)一八条 公社の役員及び職員は、法令により公務に従事する職員とみなす。公社の役員及び職員には国家公務員法は、適用されない。

国民金融公庫法(昭二四・五・二法四九)一七条 公庫の役員及び職員(常時公庫に勤務して一定の報酬を受ける者であつて、役員及び二月以内の期間を定めて雇ようされる者以外のものをいう)は刑法その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

住宅金融公庫法(昭二五・五・六法一五六)一六条一項 公庫の役員及び職員(常時公庫に勤務して一定の報酬を受ける職員であつて、二月以内の期間を定めて雇ようされる者以外のもをいう)は、国家公務員とする。

日本輸出入銀行法(昭二五・一二・一五法二六八)一七条 日本輸出入銀行の役員及び職員は、刑法その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

日本開発銀行法(昭二六・三・三一法一〇八)一七条 日本開発銀行の役員及び職員は、刑法その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

日本電信電話公社法(昭二七・七・三一法二五〇)一八条 委員は、罰則の適用に関しては、法令により公務に従事する者とみなす。

三五条 第一八条の規定は、役員及び職員に準用する。

農林漁業金融公庫法(昭二七・一二・二九法三五五)一七条 公庫の役員及び職員は刑法その他の罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす。

中小企業金融公庫法(昭二八・八・一法一三八)一七条 公庫の役員及び職員は刑法その他の罰則の適用については法令により公務に従事する職員とみなす。

これらの法文は何れも同一の内容を意味するものと考えられるにも拘らずその表現形式に相違があり、これを年代順に並べてみると、特に日銀法、日鉄法、専売公社法という初期に属するものの規定の仕方がアイマイであることに気がつく。そして年代が経つにつれて、その表現が厳密になつてゆきつつある。同じ公労法の適用をうけ、同種の性格をもつものでも、最近施行された電電公社法はその条文の表現において若干明確になつていることを留意せねばならない。そして、これらの規定を参照しつつ日鉄法三四条の真の意味が考えられなければならない。

二、日本国有鉄道法三四条の規定は、前述の如き他の法律との表現上の比較並びにその実質的な同一性の面からいつて「日本国有鉄道の役員及び職員は、刑法その他罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす」という趣旨と解さねばならない。他の最近の法文は日本国有鉄道法と異つた規定をしているのではなくて、このことを明確にして誤解のないよう表現したまでのことである。もし、日本国有鉄道法三四条が国家公務員法以外のあらゆる法律関係において、役職員を公務員とみなすという広い意味を含むものであれば、第一にわざわざ法律の大改正を行い組織を一変して国鉄を運輸者から分離した実質上の意味は殆んど失われてしまうのみならず、同法五六条が恩給法の規定を準用する旨を規定し、五七条が国家公務員共済組合法の準用を規定し、五九条、六〇条、六一条、六三条にわたつて健康保険法、国家公務員災害補償法のほか多くの法律を適用乃至準用するに当つて各別に国鉄の役職員を公務員とみなしているのは全く無意味になつてしまう。日本国有鉄道法三四条が、刑法その他罰則の適用についてだけ役職員を公務員とみなす趣旨であると解して始めて、同法五六条以下の法条はまさに必要であり、かつ意味深いものであるといわねばならない。右の見解をとる限り、高裁各判例の見解は根本的に考え直す必要がある。それと同時に刑法その他罰則の適用については国鉄役職員が法令により公務に従事する職員とみなされるという意味を更に追究する必要がある。

三、いわゆる「みなす」規定は、公法、私法の分野にわたつて随所に見られるところであるが、その内容が多種多様であることから他の類似する規定と混同されがちになつており、そのためいわゆる「みなす」規定を理解するために色々な解釈上の混乱が起きている実情である。即ちいわゆる「みなす」規定の他のいわゆる解釈規定或いは読みかえ規定とが混同され、本来の「みなす」規定が解釈規定或いは読みかえ規定の如く誤解されて読まれており、検察官の主張や検察官引用の各判例の立場もこの混同からくる必然的結論であると言えるのである。そこで「みなす」規定、解釈規定及び読みかえ規定について考察することにしよう。「Aを適用するについてはBをCとみなす」という法文は、AというのはCという事柄に関する法律効果であるところ、Cと本来は全然異るBという事柄についてもAという法律効果を及ぼしたい時に使用する法律上の慣用語であるが、これこそが本来の「みなす」規定である。例えば、死亡と失踪宣告とは本来全然異る二つの事柄であるが、死亡には遺産相続とか婚姻の解消とかいう法律効果が発生するので、この法律効果を失踪宣告の場合にも及ぼしたい時は、民法三一条のように「失踪の宣告を受けた者は……死亡したる者と看做す」という規定を設けるのである。この種の「みなす」規定は、民法七三条、商法一一六条、同一四七条、同四三〇条、破産法四条、民事訴訟法二三八条、刑法五六条三項、刑法施行法二九条、同法三一条、同法三三条、同法三四条一項、同法三六条及び同法五八条などがあるが、これらは法律効果の擬制的転換を本質とする本来の「みなす」規定であつて後述するが如き解釈規定や読みかえ規定とは異る性質のものである。次に解釈規定についてみると、刑法でいう解釈規定とは刑法の規定する犯罪構成要件もしくは抽象化した違法性阻却要件またはその他の規定の適用の要件を構成する個々の要件のうち法律概念についての解釈上疑義があり、そのため当該規定の適用について支障を生じまたは生ずるおそれある場合において当該法律概念についての疑義を解決してかかる支障を除き、もつて当該規定の円滑なる適用を図るものであると言えよう。例えば刑法七条は刑法各本条に使用されている公務員という法概念の限界を決定したものとして一応解釈規定と言えるけれども、純粋な解釈規定としては、刑法二四五条「本章ノ罪ニ付テハ電気ハ之ヲ財物ト看做ス」、同二四二条「自己ノ財物ト雖モ他人ノ占有ニ属シ又ハ公務所ノ命ニ因リ他人ノ看守シタルモノナルトキハ本章ノ罪ニ付テハ他人ノ財物ト看做ス」、同法二三〇条ノ二の二項「前項ノ規定ノ適用ニ付テハ未タ公訴ノ提起セラレサル人ノ犯罪行為ニ関スル事実ハ之ヲ公共ノ利害ニ関スル事実ト看做ス」といつた各規定があげられる。ここで注意したいのは、刑法は本来の「みなす」規定と解釈規定との用語例を使い分けているということである。即ち本来の「みなす」規定の典型的用語例であるところの「法律ノ適用ニ付テハ」という用語を使わないで解釈規定には「本章ノ罪ニ付テハ」という用語を使つているということである。これを「適用」なる用語を用いた条文の場合には必ず刑法上の法律効果の発生をねらつているからであり、従つて構成要件の一部に該当する法律概念というか法益というものについては刑法は「適用」という用語を使つていないのである。刑法において、「適用」なる用語を用いた条文は刑法一条乃至四条、同法六条、同法八条、同法三七条二項、同法五四条二項、同法五六条三項などがあるが、これら刑法の適用例を見て感ずることは、刑法で「適用」という法律概念はその適用を受ける者に犯罪行為すなわち各本条所定の犯罪構成要件該当の行為のあることを前提としてこの行為についてその者の刑事責任を追求するため「適用」ということばを使つているわけであり、従つて刑法を適用する、あるいは、その他の罰則を適用するという場合には常にその適用を受ける者の犯罪行為とその責任が想定されているわけで、刑法に適用する、あるいは罰則を適用するということは規範違反の行為について違反者に刑罰という法律効果を帰属せしめることである。そこで日本国有鉄道法三四条一項について考えるならば「日本国有鉄道の役員及び職員は、刑法その他罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなす」ということになり、役員及び職員に対する第三者の侵害行為を処罰するということにはならないのである。なお、刑法二三〇条ノ二の二項は「前項ノ規定ノ適用ニ付テハ」と規定しているが、このような文例は本来の刑法の規定から言つて妥当でなく、戦後の立法技術の未熟が然らしめたものであつて、本来ならば「前項ノ場合ニオイテハ」と書くことが正確な刑法の用語に合うものであると考える。最後に読みかえ規定についてみると、読みかえ規定とは、一つの地域、要するに昔の共通法にいう一つの法地域の法令を他の地域に施行する場合、あるいは一つの社会関係を規律する法令を他の社会関係に準用する場合などに当該法令の用語を他の適切な用語に読みかえるものである。例えば価格等統制令第一六条「前条第七号ニ掲クル場合ヲ除クノ外本令中主務大臣トアルハ朝鮮ニ言リテハ朝鮮総督……トス」臨時農地等管理令一六条「第七条第一項及第二項中五千坪トアルハ台湾ニ在リテハ一甲トス」、五七条一項後段「国家公務員共済組合法の規定に準用する、この場合において、同法中『各省各庁』とあるは『日本国有鉄道』と『各省各庁』とあるのは『日本国有鉄道総裁』……と読み替えるものとする。」という規定などであるが、この読み替え規定と「みなす」規定との混同は非常に少いと言えよう。

四、かくして本来の「みなす」規定と解釈規定又は読みかえ規定とは異るものであり、本来の「みなす」規定中の「法律の適用」というのは、各法文中の構成要件中に掲げられている者に対して適用される場合を指しており、それ以外の第三者を意味していないことが理解された。ところで、日本国有鉄道法三四条の場合も右と同じく、罰則の適用をうけるものは、これら法条の構成要件中に明示されたものであつて、それ以外の第三者の場合ではない。即ち、この条文を最も正確に表現するならば、「日本国有鉄道の役員及び職員は、それらの者が刑法その他の罰則の適用をうける場合には、これを公務員とみなす」という趣旨に他ならない。それは身分犯である収賄罪、職権濫用罪を身分のない者に対しても適用するために設けられたものであり、職務の清廉性を担保することが目的であつて、それ以外に第三者に対し、職務を保護する目的はいささかも含まれていないのである。即ち、日本国有鉄道法三四条は、国鉄の業務を一般に公務とする趣旨ではなくて、単に国鉄という事業の公共性の故にその役職員に対し職務の清廉性を義務ずけたものである。事業の公共性ということと、公権力の行使とは全く別個の概念であることは自明であつて、清廉性の責任と、公権力行使の保護とは、論理的に表裏一体になるものではない。公権力を行使する職務は清廉性の責任があるからといつてその職務が公権力行使と等しくなるはずはない。両者はそれぞれ別個の法的要請に基いているのである。公共性と公権力との無反省な混同……そこに法律概念の混乱があり、それは又日本資本主義の発達の特殊性をノーマルなものと考える錯覚である。日本国有鉄道法三四条を不当に広く解釈した判例は、国鉄が明治末年から昭和二十四年迄官庁であり、その職員が官吏乃至公務員であつたという変則的な事実が逆に当然なこととして強く先入観念になつているのではあるまいか。そしてかかる先入観念は、法文の解釈……しかも厳に類推解釈を禁じられている刑法において……極めて安易におしひろげるに至つたのではあるまいか。

第四点原判決は法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである場合に該当するので、破棄すべきであります。

原判決は、「弁護人の主張に対する判断」において「弁護人等は、米初次郎は法的に任命された車掌ではないから車掌ではないし、当日の乗務勤務は適法に指定されたものではない。当日の同人の行動は規定に違反しているから被告人等には米が車掌であるとの認識がない。従つて被告人等の行為につき犯罪の認識がない……旨主張するが……本件当日は車掌の正規の服装をなし、所定の位置に在つて車掌の勤務に服していたことが認められる。然りとすれば一般人の見解において一応適法な職務執行行為ありとせらるべく、」と判断して、弁護人の米の車掌業務は刑法第九十五条の構成要件たる「職務執行の適法性」を充足していないという点の主張を排斥しております。然し、原判決の右判断は、刑法第九十五条の構成要件たる「職務執行の適法性」の要件の解釈適用を誤つた違法の判断であると考えます。(追つて詳論します。)原判決の右違法判断は、刑事訴訟法第三八〇条にいう「法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである」場合に該当するものであることは疑を容れません。従つて、原判決は、この点において、破棄を免れません。

第四点の補充 刑法九五条の構成要件たる「職務執行の適法性」の問題について

一、原判決は、米初次郎の車掌勤務について、次のとおり認定した。「証人八木建二の当公廷における供述、昭和二十五年七月三十一日国鉄総裁達第四〇三五号鉄道管理局長事務処理規程、昭和二十八年十一月三十日付国鉄副総裁より各鉄道管理局長宛『緊急事態に対する列車運転の確保について』と題する依命通達、前掲証人米初次郎の当公廷における供述、証第四号、第六号(運転考査関係書類)によれば、米初次郎は正規の手続を経て車掌に任命され勤務指定を受けたものである」と。

二、然し、右認定は冒認であり、原審が取調べた全証拠を綜合しても、到底そのような認定は不可能である。

第一に、米初次郎は、法的に任命された車掌ではない。原審第四回公判における証人米初次郎の証言 問(村田弁護人)その臨時運転考査を受けたのは何時か、答 昭和二十八年十二月五日に受けました。問 その有効期間は何時までか、答 何時までかその点は私は知りませんが、列車にのれたのもその有効期間があつたからのれたものと思います。問 誰れがどこでその考査は実施したか、答 管理局の会議室で考査員は二、三名だつたと思います。問 その考査員の名前は、答 記憶していません。問 合格の発表はどういうふうにされたのか、答 私は考査を受けた翌日口頭で合格した旨知らしてくれました。問 一緒に受験した人の名前は知つているか、答 判然覚えていません。問 臨時運転考査のあることは普通一般の職員は知らないのか、答 判りません、私の場合は口頭で臨時運転考査を受けるよう指名されたように記憶します。問 考査員が直接証人に受験するよう言つたのかそれとも間接的にきいたのか、答 その点判然覚えていません。同第六回公判における証人八木建二(当時鹿児島鉄道管理局長)の証言 問(村田弁護人)米に去年車掌の発令をしたことがあるか、答 あります。問 発令は口頭でしたのか、答 そうです。問 発令があつたことを他の一般に職員に知らしめる方法はどうして居るのか、答 普通人事課の担当者が文書課に通知して文書課の方で局報に掲載して一般の人に知らせるようにしておりますが、又そういう手続をして局報に掲載しない場合も時にはあります。問 米車掌の発令をした時はどうであつたのか、答 この時は局報に掲載するのに二、三日しか日がなかつたので局報には出なかつたと思います。問 文書課員と車掌の兼務が出来るのか、答 緊急の場合は出来ますが普通はやつておりませまん。問 今までそういう兼務をした例があるのか、答 ありません、今度が初めてです。以上の証拠を綜合しても、米初次郎が法的に車掌に任命されたことにはならない。何となれば日本国有鉄道は公共企業体であるところ、公共企業体等労働関係法になれば、「管理又は監督の地位にある者及び機密の事務を取扱う者は、組合を結成し、又はこれに加入することができない」(四条一項)と規定され、さらに「前項但書に規定する者の範囲は、公共企業体等労働委員会の決議に基き、労働大臣が定めて告示する」(四条二項)と規定されておつて、国鉄職員は、団結権を保障される一般職員とその圏外におかれる管理職員とを強行法規で区分されておるのである。米初次郎という一人の職員をすでに管理職(局文書課係主席)に任命してある以上その者を団結権を保障される一般職員に兼務することはできない次第である。そのようなことをすれば管理職員の加入する非自主的組合ができることになるので、公労法は固くこれを禁じており、国鉄人事権を分掌する八木鹿児島鉄道管理局長と雖も、これを適法になし得ないのである。

第二に、当日の乗車勤務は適法に指定されたものではない。原審第四回公判における証人米初次郎の証言は、「昨年の十一月二十四日の午後六時頃当時の八木局長より直接鹿車掌区の車掌を兼務するよう勤務指定を受けました、そしてその翌日一六四列車に乗務するよう瀬戸助役から命令を受けました」というのであるが、原審第六回公判における証人八木建二(当時鹿児島鉄道管理局長)の証言によれば、問(浜島被告)斗争当時米を竜ケ水駅まで自動車でやつた時、瀬戸助役に命令があつたといつていますが証人は大体そう言う命令を何時出されたのですか、答 そういう命令は私は出していません。問 証人の指示で瀬戸助役が米を竜ケ水駅までやらしたのではないですか、答 いいえ、そうではありません。右のとおり米初次郎が昭和二十九年十一月二十五日一六四列車に車掌として乗務することの勤務指定は、局長から適法に指定されたものではないのである。

第三に、当日の米初次郎の行動は、運輸に関する諸規定に違反し、同人の職務執行行為は違法であつたのである。即ち、米は昔二年間の車掌歴をもつてはいるが最近十年以上文書課勤務をしているため車掌としての適格性を欠き、従つて運輸に関する諸規定および車掌区乗務員としての職務内容について知識がなく、違反行為を為しているのである。違反行為の第一は、一六四列車発車の際、車掌区乗務員執務内規に規定された安全法規を無視した所為である。労働基準法によると、四四条に労働者は危害防止のため必要な事項を遵守しなければならないという大原則があり、これに関連して、鉄道営業法一条、運輸省令二条(従業員の基本遵守義務)三条(経営者の規定制定義務)、総裁達「安全確保に関する規定」(昭和二六年六月二八日達三〇七号)、車掌区乗務員執務内規が制定施行されておるのであるが、この執務内規四一条(列車点検要領)四二条(列車点検事項として十一項目)四四条(貨物列車点検事項として十項目)四八条(出発準備、合図の義務)等のすべての義務を彼は全部怠つたものである。これらは尽く内規の形式で制定されておるが、すべて人命保安の規定であるので尽く強行法規に該当し、一つとして実施を省略するを得ない法規であり、これをないがしろにし、もしくは省略するときは、その職務執行が違法となるところの効力規定であるといえよう。米初次郎は、これらの職務執行の適法性の要件である規定をすべて欠いたものである。違反行為の第二は、一六四列車の最後の発車の際、米が後部端梁にぶらさがつて発車を企てた所為である。これが生命にもかかる安全運転違反行為であり、車掌の職務執行の適法性の要件を著しく欠く所為であることは、明らかであるといえよう。

三、職務行為の適法性の構成要件について、

公務執行妨害罪が成立するためには、公務員の職務行為が適法なものであることを必要とするであろうか。この点は本罪の構成要件の解釈上もつとも重要にしてしかももつとも解決の困難な問題である。けだしドイツ刑法一一三条が「職務の適法な執行に当り」と規定しているのに反して、わが刑法九五条は単に職務の執行といつているにすぎないため、説が分かれているのである。通説は一応これを積極に解している。明文の規定のないわが刑法についてなお職務行為の適法性を要求する根拠としては、あるいは適法でなければそもそも職務行為といいえないことあるいは適法な職務執行でなければ本条の保護に値しないこと等が指摘されている。これに対して、「苟くも公務員の職務執行行為と認むべきものがあれば、その行為はすでに本条の保護に値するものである」として、その適法性(「其が行政行為又は訴訟行為として有効であるために必要な一切の法律的条件を備えること」)ないし合法性(「其の行為が実質的に法秩序一般から見て正当であること」)は必要でないとする有力な反対説があるのである(小野・講義各論二〇頁同旨、吉田・刑事法判例研究一九九頁)。ただしかし、職務行為の適法性の要否といつても何をもつてその適法性の要件と解するか、またその適法要件の存否は何を標準として判断するかによつて、具体的行為に対する結論は異ならざるをえないのであつて(たとえば、一応公務執行の適法性を必要としながらも、「公務の執行が適法でなければならぬということは、公務の執行が公務の執行として成立することを要するというだけに解せねばならぬ」とし、「公務の執行は公務の執行として一般の見解上認めらるるものなることを要し且つ之を以て足るの外、別に公務の執行が適法なることを要しないのである」という牧野博士の説(刑法研究二巻二〇七頁以下)は、その適用において消極説とほとんど変るところはない。のみならず、同博士は公務員の抽象的権限の有無さえも一般の見解で決すればたりるとされるのであるから、小野博士が、適法性ないし合法性を不要としながらも、職務の執行であるためにはかならず一般権限内の行為でなければならぬとされる(講義各論二〇頁)のに比較してもその要件において一層ゆるやかであるといわなければならない)、適法性の要否ということだけを抽象的に議論するのは、理念的にはともかくとして、実際上は余り実益がないものといわなければならない。では判例はこの点についてどのような態度をとつているだろうか。

1 適法性を必要とするもの

支配的な判例もまた、少なくとも観念的には、職務行為の適法性を必要とする立場に立つているものとみることができる。たとえば「公務執行妨害罪ノ成立スルニハ其ノ妨害カ公務員ノ適法ナル職務ノ執行ニ当リ為サレタコトヲ要シ……といい(大判昭七・三・二四刑集一一・二九六)、また「刑法第九十五条所定の公務員の職務の執行は適法なることを要すること勿論である」といつている(大阪高判昭二八・一〇・一刑集六・一一・一四九七)のはその代表的な例である。ただしこれらの判決はいずれも、公務執行妨害罪の成立を認めるための前提として職務行為の適法性を必要とするといいながらも、当該具体的事例については結局適法性ありとして公務執行妨害罪の成立を認めた事例であるが、下級審判決のなかには「違法な職務行為は之を公務の執行と解することはできない」という理由で、これに対する抵抗を正当防衛と認め無罪を言渡している事例もある(名古屋地判昭二八・五・六最高刑集八・七・一一四一)。

2 違法ではあつてもその程度が強くなければよいとするもの

「右逮捕が不適当だからという理由から、直に本件被告人の前示所為が公務執行妨害罪を構成しないものと速断してはならない。公務執行妨害罪は、公務員がその一般的権限に属する事項に関し法令に定める手続に準拠してその職務を執行するに当り之に対し暴行又は脅迫を為すによつて成立するもので、仮令、当該手続に関する法規の解釈適用を誤まりたるため手続上の要件を充たさない場合と雖も、一応その行為が形式的に公務員の適法な執行行為と認められる以上、公務執行妨害の成立を妨ぐるものではない。本件において、前示、T、F両巡査は、予て被告人に対し窃盗の指名犯人として裁判官の逮捕状の発せられていることを知り、之が緊急執行のため右令状を所持しないまま被告人の依命逮捕に赴きたるもので、かかる場合の逮捕の手続としては刑事訴訟法第七三条第三項に従い被執行者に対し被疑事実の要旨即ち或る程度の被疑事実の内容と令状が発せられている旨を告げなければならないのを、誤解して、単に罪名と令状が発せられている旨を告げれば足るものと考え、被告人に対し窃盗の嫌疑により逮捕状が発せられている旨を告げて逮捕せんとしたのであるから、該逮捕行為は法令に定める手続に違背し違法ではあるが、その違法の程度は全然被疑事実を告げなかつた場合と異り強度のものとは言えず、なお一般の見解上、一応形式的には前記巡査等の一般的権限に属する適法な職務執行行為と称し得ないことはない。従つて被告人が同巡査等の右職務執行に当り前記暴行を加えた所為は当然公務執行妨害罪を構成するものと言わなければならない。」(福岡高判昭二七・一・一九刑集五・一・一二)。本件は逮捕状の緊急執行に関するものである。逮捕行為が結局違法であることを承認しながらもなお本罪の成立を肯定するために、判決は「一般の見解上」とか「一応形式的には」とか「適法と称し得ないことはない」とか苦しい表現を用いているが、結論としては「適法な職務執行行為」といつているのであるから、むしろ積極説に属するものと解する方が適当かもしれない。

3 職務行為の適法性の認識と故意

公務執行妨害罪が成立するためには職務行為が適法であることを要すると解する場合には、この適法性という点にまでも故意が及ばねばならないか、すなわち妨害者において職務執行が違法であると誤信して抵抗したときは故意を阻却するかという問題がある(この点についての詳細は、谷口「公務執行に対する反抗」ジユリスト一一六号、とくに三三頁以下)。職務行為の適法性を要件とする以上、理論的にはその点についての認識は構成要件事実の認識であつてその錯誤は故意を阻却するものと解するのが正しいと思われる。

4 一般の見解上も公務の執行と認められないとして本罪の成立を否定した例

「公務執行妨害罪の成立するにはその妨害が公務員の適法な職務の執行に当り為されることを要するが、苟も公務員の抽象的権限に属する事項である限り偶々職務執行の原因たるべき具体的事実を誤認し、又は当該事実に対する法規の解釈を誤り適用すべからざるを法規を適用したとしても、真実職務の執行と信じて為したものであれば一応適法なる職務執行と認めらるべきものである。けれども著しく具体的事実を誤認し当時の客観状況に照しその誤認が極めて明白にして一般の見解上公務の執行と認められないときは、たとえ公務員において職務の執行と信じて為したとしても適法なる職務行為とは認められないと解するのが相当である。ところがH巡査は被告人Yが当時些か飲酒酩酊していたに過ぎずして何等応急の救護を要する状態ではないのに拘らず、F方より酔つ払いが暴れている旨の電話連絡を受けてかけつけ同被告人が同人方を立去ろうとするのをみるや、これを以て警察官等職務執行法第三条第一項第一号に所謂保護を要する泥酔者と速断し矢庭に同被告人の手を捕えたのであるから、斯の如きは著しく事実を誤認したもので当時の客観状況に照しその誤認は極めて明白であつて一般の見解上到底公務の執行とは認められないから、同巡査においてたとえ職務の執行と信じて為したとしても適法なる職務行為とは謂い難く、従つてこれに対し暴行を加えても公務執行妨害罪が成立する謂われはない。」(福岡高判昭三〇・六・九刑集八・五・六四三。ただし傷害罪の成立を認めている)。

四、(結論)公務執行妨害罪の成立するためには、米初次郎の職務執行が前段記載の適法要件を具えることを必要とするのであるが、同人の当日の行動は、(一)適法に車掌職の任命をうけたものでなく(二)局長から適法な勤務指定をうけたものでなく(三)一六四列車の発車に際し車掌が遵守すべき安全運転に関する法規を尽く無視し前段記載の適法要件を著しく欠くものであるから、結局公務執行妨害罪は成立し得ない。

弁護人村田継男、同岡村正喜の控訴趣意

第一、本件直接の被害者である米初次郎は公務負ではない。

此点に関する法律上の主張は小林弁護人の控訴の趣意書の通りである。要するに公務員に非る米初次郎に対する被告人の行為は公務執行妨害罪に該当しないに拘らず原審に於て之を同罪に問擬したのは法律の適用を誤つた失当がある。

第二、一、米初次郎は仮りに公務員であるとしても本件発生の当時に於いて適法に車掌の資格を有せず従て其業務の執行は公務ではない。米に車掌の資格ありとの根拠は昭和二八年一二月五日運保第一七九五号鉄道管理局長あての国鉄副総裁依命通達により臨時運転考査の合格者として文書課勤務兼車掌の任命を受けたと言うにあるが、証人八木健二の証言によれば、(イ)自分は口頭で任命した、(ロ)決裁書類に判は押していない、(ハ)文書課勤務と車掌との兼任の前例はない、(ニ)右発令は局報に記載していないという点より見て規律を重んずる管理局長の処置として到底信ずるに足らなく結局之は事後に於て形式を糊塗したものにすぎず米に対する適法の任命の事実は到底認むるに足らない即ち米は車掌の資格なき者である。

二、被告人には車掌としての米に対する認識はない。一、に於て主張した通り国鉄の職員たる被告人に於ては米が車掌として一六四列車に乗車するということは想像も出来ず米には車掌の資格なきものと確信し且之を信ずべき正当の理由があつたのであるから米に対する被告人の行為は違法性を阻却して罪とはならない。

弁護人東城守一の控訴趣意

第二点原判決は法令の適用に誤があり、その誤は判決に影響を及ぼすこと明白である。

(一) まず第一に、米車掌の職務を刑法第九十五条の公務なりと判断したのは、明白な誤である。すなわち、原判決は、日本国有鉄道法第三十四条第一項の規定をあげているが、この規定を以て直ちに刑法犯に適用することは、早計であり誤解である。というのは、国有鉄道の業務が、いわゆる公共企業体の業務であつて、それは換言すれば、国家の公権力の行使とは異質の一種の営利事業であり、その業務の妨害を、公権力の行使の保護を法益とする公務執行妨害罪を以て論議することは、立法論としても解釈論としても失当であり、前記鉄道法第二十六条の法意はそこにあるのではない。

(二) 第二に、原判決が「……一般人の見解において一応適法なる職務執行行為ありとせらるべく………」として、被告人の犯意を阻却しないとした判断は、誤りである。もともと、その職務執行者が、その行う職務につき何らかの権限があることを前提としてこそ始めて外観上の適法性を備えるものであつて、これを本件米車掌の場合に適用することは、その根拠がないものである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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